チリツモ!~塵も積もればゴミの山~

チラ裏の如く書きたい事を書くだけの非生産的なブログです。

圧倒的強者がいるという事に対するモチベーション

オリンピックやってますね。

 

私はスノボーが好きなので、平野歩夢君とショーン・ホワイトの激戦をウキウキしながら見たかったのですが、仕事でリアルタイムで見られなかったのが残念です。

 

こういう時期になると、「感動をありがとう」「勇気を貰った」というフレーズが飛び交いますが、こういったフレーズに非常に違和感を覚える私はどうやら少数派のようです。

 

オリンピックの様な国を挙げた世界大会的なものを見ていると、ふと思う事があります。明らかに1位になることができない実力の選手達のモチベーションはどこにあるのだろうかと。趣味の延長線上でオリンピックに出場できて記念受験的なノリで出場しているならば話は分かるのですが、大多数の選手はそうではないはずです。人生を賭けて最大限の努力を積み重ねその結果掴み取った切符なのだと思います。しかしその舞台にどう足掻いても実力では到底敵わない圧倒的強者がいるという事実。金メダルを取れる可能性のある選手は当然金メダルを目指すのでしょうが、そうでない選手達は?今は敵わない、でもいつかは絶対に頂点に立ってやる。そういう気持ちなのであれば良く分かるのですがそうではないと思います。そうなると目指すところは少しでも良い結果、できれば入賞、メダルが取れれば万々歳。きっとそういった気持ちなのだと思います。人生を賭けて競技に臨みどこまで上り詰められるかの挑戦。しかし確実に頂点には立てないという現実。やるからには勝ちたいはずです。でも決して叶う事はない。その現実を受け入れながらも競技に打ち込む。そのモチベーションはどこにあるのかと。どういった気持ちなのだろうかと。決して選手達を馬鹿にしているわけではありません。何かに本気で打ち込める人は結果によらず尊敬に値すると思っています。私がそういう人間ではないから。だからこそただ単純に疑問に思ってしまうのです。

 

しかし、頂点に立つ事が目的ではなく、彼等にとって競技に打ち込む事が日常で、そこに身を置き上を目指す事が当然の行為なのだとしたら、私の疑問は非常にナンセンスなものですね。

 

凡人が何を偉そうな事言ってんだという感じですが、そんなしょうもない事を考えながらオリンピック見てます。